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忘れてはいけない... |
ここ数日、TVではJR尼崎脱線事故から1年がたつとどこの局も報道していた。 「あれからもう1年が経ったのか」と時間の経過の速さを感じると共に、 当事者でもなければ被害者でもなく、遺族でもない自分は、 この事件自体を真剣に実感する事なくこの1年過ごしたと思った。
4月24日、神戸に住む友人と久々に会う事になり、夜梅田で待ち合わせた俺たちは メシを喰いその後、彼が住む北区の家に泊めてもらった。 朝になり友人宅を後にし、自宅へ帰るため駅へ向かった。 慣れない駅からの家路のため、駅員に路線を尋ねると 「三田まで行き、そこから福知山線に乗ってください」と案内された。
ハッとした。 この瞬間、自分の中で全くの人事だったあの事件が、なぜか恐ろしくリアルになったのだ。 もちろん、あの脱線事故の起きたまさにあの事故現場を通る事はすぐに分かった。 その瞬間から、そわそわし言葉で言い表せない気持ちになった。
三田の駅で乗換えをしたとき、改札口で 「あの日を忘れない」 と書かれ、空色のリボンが付けられたカードを渡された。 電車に乗車してからは、そのカードの裏に書かれたメッセージを読んで少し考えさせられた。
自分が乗っているこの電車が、ちょうど一年前事故を引き起こしたという事。 あの事故は、今自分の乗っている電車で起こっていてもおかしくなかった。 いつ起こっても不思議じゃなかった。 どこで起きても不思議じゃなかった。
そんな事を考えていると、気分が悪くなり、ドキドキして、吐き気がした。
事故現場を通過する直前に、電車内ではアナウンスで 「私たちはあの事故を忘れません」 と放送され、最徐行で通過した。
何度もTVでみたあの事故現場は、今もその傷跡がそのまま残っていた。
尼崎に着き少し考えたが、ちょうど一年経った今日、 しかも同じような時間にたまたま友人の家からの帰り道に乗った事にどこか意味を感じ、 僕は献花台に花を供えに行く事にした。
尼崎からはタクシーに乗ったが、行く途中遺族の方々が見えてきた時、 僕は考えが変わり、少し遠くで降ろしてもらい、献花台には行かない事にした。
何故、あんな事故が起こったのかなんて、それはプロの人が検証すればいいし、 二度と起こさないための努力はJRの職員や、関係者の人にしっかりしてもらいたい。 僕は、このコラムによって問題提起がしたいわけではないし、何もメッセージはない。 ただ、1年経った今日、偶然この電車に乗り思ったことを残しておきたいだけだ。
2005年4月25日、痛ましい事故が起こり、107人の命が犠牲になったという事。 たどり着きたかった目的地にたどり着けず、志半ばで無念の死を遂げたその人たちの事を 僕は忘れてはいけないなと思った。 時間が経てば、どんな事ももちろん風化されていく。 だけど、自分は忘れてはいけないと思った。 忘れないために、ここに書き残す。
僕は忘れない。
dice/BLACK PEARL
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
《空色のリボン》
あの日、あの列車には様々な思いを 抱えた多くの乗客が乗っていました。 そして、辿り着きたかった場所へ行 けずに奪われてしまったたくさんの いのち。 あの朝、青く澄み渡っていた空―― 事故に関わった、多くの人の記憶に残っ ているこの「空色」のリボンには、 たくさんの思いが詰まっています。「あ の日をを決して忘れない」「あの日、 行けなかったその場所へ皆で一緒に 行こう」という思いを込めて、この リボンを付けて乗車して頂ければと 思います。今日一日、このリボンが あなたと共にありますように…。
※このリボンは、ボランティアの協力によって ひとつひとつ手作りされたものです。
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